ご記憶の方も多いと思います。2年程前の中国広東省内の路上で車にはねられ瀕死の重傷を負った2歳の女児を多くの通行人が無視した事件。その後18人の通行人が誰も女児を助けようとせず、結局死亡した。「昔の貧しい時の中国では、このようなことはありえなかった。お金優先社会の弊害。」等、中国内部でも論争が起った。
批判するのは簡単だが、もしも偶然に同じ状況に遭遇した場合、自分ならどうするか。「すごく忙しい。今日はたまたま大切な用事が待っている。誰も見ていない。かかわりたくない。・・・」。18人連続スルーした事実は重い。
まさに、聖書に出てくる隣人愛のたとえとしての「よきサマリア人」の事例だ。かわいそうだと思って、まずは助けるという行為ができるか。どのような状況でも、そういう気持ちを瞬間的にもち、行動に移せる心構えが、はたして自分にあるのか。
日本でも、「強い国、美しい国」が標榜され、景気持ち直し傾向(単なる円の市場への大量供給の結果なのだが)が好感され、多くの国民も、今の日本の方向性を良しとする傾向があることに、強い危惧を抱いている。経済格差は自己責任の結果、他人のことは俺には関係ない…といった、愛のない社会への大きな枠組みの中にいるのでは、と私は感じている。