実話ですが、冬場にある本州の教会に、困り果てた若いホークレスの方が訪れ、宿泊をお願いした。教会なら、なんとか助けてくれると…。しかし牧師さんから「残念ながら、教会に宿泊場所はなく、泊まらせることはできません。その代わり、あなたの為に祈ってあげましょう。」と言われ、祈られたのち、またその日も夜中歩き続けた。
クリステャンにとって、祈りは重要だが、当然のことながら、この方は、教会は何もしてくれなかったと感じた。本当に困った時、教会ならという意識が、日本人の中にもあるようだが、結果としてその期待を裏切ることになるケースは多い。聖書には「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」とかいており、この聖句を掲示している教会は多い。こんなことを言うと、教会関係者からは、このケースは違うだとか、混乱は困るだとか、反論がありそうだが、聖書には「すべて」と書いてあり、例外はないと私は思っている。
また私は、教会は宿泊施設等を必ず設けるべきだと言っているのではない。本当に困って訪れる可能性が極めて高いので、ネットワーク(市や民間団体との連携)等の事前の整理が必要だと思うわけです。つまり、この例では、関係団体と連絡し、まず当面の宿泊場所を確保し、その後のサポートの大まかな流れを説明し安心してもらう。あわせて暖かい軽食を提供する、という準備、システムが必要ということです。
私達のNPOセンターは、ICF教会の2階をお借りし活動を開始しました。生活困窮者、孤独な方、障がいをお持ちの方等相談者が拡がるに従って、必要な体制は造ってきましたが、当事者のニーズを単独でカバーすることはできず、ネッワーク造りは欠かせません。